フローラクラブの皆さん、こんにちは。
私に初めて湿疹がでたのは、小学校に入った頃からだと思います。最初の頃は皮膚の弱い部分に細やかな湿疹が出る程度でした。 しかし、幸か不幸か私の母親が看護婦だったので、ステロイド剤に不自由する事なく小学校の高学年の頃には、体全体にステロイド剤を塗るようになっていました。まだこの頃、はアトピーは大人になるにつれ治っていくと聞いていたので、ステロイド剤の怖さも知りませんでした。だけど、本当に薬を塗らなくても痒くならずにいられるようになるのかなと疑問をもったのを覚えています。
私は小、中学校と野球。高校では陸上をやっていました。スポーツをやっていた頃は、外見はアトピーだというのが分からない程のものでした。ただステロイド剤だけは塗らなければ痒くて眠れないので毎日塗っていました。 本格的に酷くなってきたのは、陸上の活動が終わり、受験の時期に入った頃です。体の痒みが以前より酷くなり、今まで出ていなかった顔にまで、痒みが出るようになりました。もちろん、ステロイド剤を塗っても抑えることが出きず、強いステロイド剤に変わっていきました。その後痒みの中、推薦で専門学校に合格した私は、入学するまでの何ヵ月間で離脱をしようと考え、軽い気持ちで実行しました。次の日から顔が赤くなり一週間後ぐらいで体液が出てくるようになりました。一ヵ月で離脱して良くなると思っていた私はあまりの辛さにショックを受け本当に治るのかと不安に襲われました。もちろん家族も今までに見たこともない症状に、私以上に苦しんでいたと思います。あまりの苦しさに弱音を吐き、このまま離脱を続けていこうか悩んでいた頃、新聞にアトポスでの乳酸菌の治療法が載っていたのです。
今でも忘れません。1月の雪の降る日、ワラをもつかむ思いでアトポスを訪ねたのです。そこで、先生が何故ステロイドが悪いのか、なぜ乳酸菌が良いのかなどを説明してくれました。 今までにいろいろな病院へ行き説明を聞いても納得出来なかった私と両親は初めて納得し最後に言われたのです。『アトピーは治らない病気じゃない。必ず治る』ずっと不安だった私は、このまま離脱を頑張ってみようという気持ちになりました。
それから一カ月くらいたって徐々に体液も少なくなり、自動車学校に通い免許を取りました。専門学校に入学してからは、体液も止まり無くなった眉毛も生えてきて、夏には汗をかいたらまだかゆいものの嘘のようにきれいになりました。きれいになった肌を見て、もうこれで酷くはならない、もう治ったのだと信じきっていました。それからは、酒を飲み甘いものを食べ完全に油断して、遊ぶ約束が連日のように続きました。
そんなある日、一回目の離脱をしたときの痒みとは比べものならないくらいひどい痒みに襲われたのです。体にひどく熱をもち、体が痛くて動かないのです。眉毛もあっという間に無くなり自分の皮膚なのに自分の皮膚でない感覚でした。学校へ通うのもつらくて家族や先生に弱音を漏らし、ついに一年生で退学することにしたのです。その後、実家に戻ってからは今までの緊張が無くなったせいかさらに酷くなりました。どこからこんなに出てくるのだろうと思うくらい体全体、耳の穴からまで体液が流れ出てきました。朝起きればTシャツは体液でぐしょぐしょになり、その体液はタオル、シーツを通って布団にまで達していました。体はものすごい痒みと痛みで首を曲げるのはもちろんのこと、腕を上げるのや、座るのでさえ痛く、家に閉じこもり一日中椅子に座ったままになりました。イライラして家族に当たりました。絶望で泣きました。もう苦しみの連日に頭がおかしくなりそうでした。
私は、アトポスへ行きました。良くなったときの姿を知っていた先生がまた酷くなった私を見てどう思ったかは知りません。しかし“大丈夫だ”と言ってくれました。ただ“家に閉じこもりきりなのはダメだ”と言われ歩く事を薦められました。しかし、私にとって外に出るということは、ものすごく辛い事でした。人の目はもちろん皮膚に風が当たると傷口に塩を塗られたように痛いのです。このままではダメだと自分でも思っていたものの、歩く時の痛みを考えると勇気が出ずしばらくは座ったままの日々が続きました。“早く治りたい・・”私は、ーヵ月毎日歩くと必ずアトピーは治ると家の神棚に願をかけました。
それから一ヵ月、顔をタオルで覆いパーカーをかぶり雨の日も風の白を歩きました。あまりの痛さと悔しさに泣きながら歩いたこともありました。 一ヵ月毎日歩き通しました。その後も体液が止まらず痛く痒く過ごしていましたが、八月の終りには殆ど体液も止まり、私は思い切ってバイトを始めました。それが良かったのか、だんだ良くなり今ではまだ少し痒みはあるもののクリームも塗らなくても平気になって人からはアトピーに見えないと言われるくらいになりました。バイトに入って知ったのですが私が歩いていた頃周りでは、変人が出ると噂になっていたそうです。私はそれを聞き自分だと分かり笑いましたが、笑い話になって良かったと思っています。
4月からは中退した専門学校に復学することが決まっています。私は、この酷い体験を通していろいろ学んだように思います。家族には本当に苦労をかけました。他のいろんな人達にもお世話になりなした。この酷い体験を二度と味わうことのないように体に気をつけて頑張っていきたいと思っています。そして、きっと親孝行したいです。辛いとさに希望と勇気を与えてくれた先生ありがとうございました。これからは何事にも挑戦していきたいです。 |